気で生きた木

覚ることについて書いています。

悟る

先月はっきりと、腑に落ちるという体験、いや、体感をしたんです。

だけど、はっきりとそれを言葉にしようとすると、言葉が邪魔になるので、

なかなかブログに書けませんでした。

 

 

その時丁度、釈迦のことを考えていたんです。

滅される時に、ブッダ達に惜しまれたところ、「私だけ特別というわけにはいかない」ということを言われたという諸行無常を伝えるシーンを頭の中に描きながら、

全く、何故こんなに慈悲深く尊い人が諸行無常でないといけないのかと、いつものように宇宙に文句を言っていたのですが、

しばらくそこで時間が止まり、ふと、

その光景は他の人の心に無常ということの真意を伝えるものなんだろうなと思い、、、思い直したのです。

そうすると、感謝の気持ちのようなものが、トンッと胃の当たりに感じて丹田まで落ちるのがわかりました。

今でもはっきりその時の感覚が胃から丹田に残っています。

不思議な感覚と、スッと受け入れる感覚の両方です。

 

現実社会で起こることの理解は悟りの中でも対処という言葉が似合いますし実際自他ともに認識出来ることだと思いますが、

精神世界の悟りというのは、誰が「それだ」と証明出来ようかと。

悟ったね。って何故言えるのか。

それって自分でしかわからないと思います。

自問自答の世界です。

 

 

悟るというのは、対処することでもあり、理解することでもあり、

諦めることでもあり、許すことでもあり、

ある人は、神様に近くなると表現しておられました。

ワタシ的には、はっきりと、腑に落ちることだと感じました。

それはとても神聖で、淀みがなく、軽やかで深みがあり、一瞬で体内に入ってくる感じです。

納得とはちょっと違います。納得って、頭で考えた結果だと思うので。

 

 

 

いろんな事に感謝はしていますが、

響きどころやないわ、私、諸行無常ばっかりやけどなっっ!!と、言ってやるんです。

諸行無常の響きがあろうとなかろうと、生きんかい。と宇宙は諸行無常の返答をしてくるので、ムカつくので生きてやろうと思います。

その代わり、これで私が泣いたらもう何も信じたらんからなっ!!と捨て台詞も追加しておきました。(宇宙にも人間が感じている無常を味合わせようとする幼稚な私)

 

こんな私ですが、感謝の真意を落とし込みくださり、ありがとうございます。とも思っています。

感謝の真意とは、今ここであることへの穏やかな気持ち。

言葉にするとそんなことです。

言葉にすると、普通。 感覚は超スピリチュアル。

 

 

ではまた次回に。いつも見てくれているかた、ありがとうございます。

家族を思い、自分を思い、神仏に手を合わすことって、自分の心を綺麗にします。

手を合わす心と、普段の思考行動がピタッと合えば、魂が上がると思います。

簡単に言えば、神仏に手を合わせておいて、他人の悪口を言ってるようではブブブーてことです。

 

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諸行無常なこともありますが、そうでもないこともあります。

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