気で生きた木

覚ることについて書いています。

あなたにも大切な事かも。

自分らしさとは。

考えた事ありますか?

 

私は、敢えて考えることはありませんでした。

考えなくても、何が似合うのか似合わないのかも知っているし、

言われたらいやな事、また嫌いなタイプの人もはっきり知っていますし、

自分がどういう立場でありたいかも知っていますから、

わざわざ考えませんでした。

 

先日、お寺の住職に「お前みたいに煮え切らんのは、、、」と言われ、

住職に背中を押される形となったのですが、

煮え切らないと言われたことに少し腹が立ちました。

煮え切らないのではなく、常識的に考えていたら私が本当にしたいことは一番後になっていただけだったからです。

子供が社会人になるのを待つでしょう?

そうこうしていたら両親が年老いてくるでしょう?

その間に店を始めたり出来ましたが、本当にしたいことは別にあるので、

ずっとタイミングを待っていただけなのです。

常識的に。

 

 

去年の暮れから店を、保護した野良猫の為に解放していて、衛生上宜しくないので菓子屋はお休みしています。

それを見ていて、この店が以前の形に戻ることはないんじゃないかなあ。と、スーッと頭の中にその感覚が入ってきたのです。

 

 

自分を後回しにしてきたつもりはないですが、確かに翻弄はされていて、仕方なく過ごしている自覚はあります。このブログにも翻弄されていることは書いていますし。

 

考えれば考えるほど、私らしさが一体なんなのかわからなくなっていることに気付いて、号泣しました。

こんなに自分のことがわからなくなったことなど経験がなくて、私らしさというものがこんなに得体の知れないものなのかと辛くて辛くて。

そこへ、「煮え切らない」と言われて、ピーンと糸が張ったような感覚になりました。

煮え切らないという言葉で私の背中を押されるのは心外でしたが、

現在、自分で決めて進む運気の最中なので、自分を見失っている私に喝を入れたのだと思うことにしました。

感謝です。

 

それで結局、私らしさが何なのか。

若い時を思い出すと、したいことを次々としていて、その感性を疑うことはありませんでした。

人に翻弄され、社会を好きでなくなると、色々と考えるようになりました。

みんなが好きな物は何なのか、売れるのは何なのか、どうすれば気に入ってもらえるのか。

社会と交わるために普通はこういうことを考えるのですが、

私は普通ではない。

つまり占いで言う普通命式ではないので普通のことを考えていたら駄目なのです。

常識を意識すると自分が死んでしまうのです。

非常識。それが私らしさということを身をもって知りました。

占いで自分が非常識で正解とわかっていても、生きているとそれを忘れているのです。

※非常識とは人が考えつかないような創造的なものであって、他人に迷惑をかけることではありません。

 

まとめ。

普通命式の人は常識的に生きて良し。

普通命式でない人は常識的では駄目です。

皆さんはどちらでしょう?

 

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占いは只今メールのみで行っています。

文章嫌いな人が多い時代、箇条書きでのご依頼でも良いですし、

わかりやすく結果を書きますのでどうぞ。

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余談

少し前から流れを感じていました。

私に起こる物事の流れが明るくなってきました。

ずーんと深く沈み込み、そこから徐々に進みだし、物事が動き出した感覚です。

天体も動き初めまして西洋占星術などでもそれを示していますし、他の占術でも時代の大きな流れを提唱しています。

 

徐々に進みだしましたが石橋を叩いて渡っている現状。

天候や地殻変動で次のあるべき姿の為に調整している自然界。

鬱や更年期障害などからの学びもこの調整に値します。

調整なので調整が終わると次の段階へと進むのです。それが物事の道理。

次のあるべき姿を自分で意識する前後で、流れ始めます。

自然界の流れに良いも悪いもありません。

ただ絶対であるというだけ。

私の気は、いくら自然界と同じように流れると言えど、人間ですから自然界のように絶対的に生きられるのか。

人間が絶対的に生きるというのは、完全に宿命通りに生きるということなのか。

そのあたりをこの先は実体験していこうと思っています。

それで、私らしさが感じられるのかを。