4/1より1月、2月、3月、4月、5月、6月、8月生まれの方を占います。
4月末迄ですのでお早めにホームページをお読みいただいた上でお申し込みください。
以前父方の祖母を鑑定して、私の生まれた年と月の干支が同じなので祖母の生き方に興味を持ちました。
それで今回2回目の鑑定の途中です。
干支というのはエトではなくカンシと読みます。
私は母方の祖母によくお世話になっていたので父方の祖母は盆と正月の休みに毎年会うぐらいで、あまり意識をしない存在でした。
同じ干支があるとわかっていればもっと聞きたい事があったのになあ。と思います。
祖母の生まれた日の干支と私の父の生まれた年の干支は同じです。
父の宿命図の親の位置にどーんと祖母が座っているのです。
祖父というのは先代が作った借金を一人で返したので力尽きたのかしら、あまり仕事に必死ではなかったようで、戦後ですし家庭はお金がなくて貧しく、私の父はそれを私に話す時いつも少し怒っています。笑
しかしながら父の宿命図には祖父もしっかりとしつこいぐらいに鎮座しています。
父は祖母を母親の象徴のように思えていて、祖父については現実に生きて行く中で非常に邪魔だったり学べたりと影響力が強い人であったと宿命から読み取ることが出来ました。
これを踏まえて、
祖母の年干支(ネンカンシ)と私の年干支が同じです。
祖母の親が私の親の位置にどーんと座っている。と考えられる。
(勿論、普段通りの見方をした時に父の位置には父らしさのある星があり、母の位置には母らしさのある星があります。)
因みに、月干支も祖母と同じ。
この家系、何を私に望んでいるのか。
そう考えずにはいられない。
父方の曽祖母始めご先祖様は私に、中庸を持てと言っているように感じます。
私は自分が中庸であると思っていましたが、そうでない事もあったので自分でショックでした。
中庸であるということもそうですが、物事の本当の意味を実体験で知るということは、時に過酷で辛い場合もありますが、そのあとは成長していく自分を客観視出来ます。
まずはこれを体験させられているのだと思いました。
この2年ほどでつくづく思うのは、「人に優しく自分にも優しく」です。
優しさは柔軟性があるから跳ね返りがない。
そして優しさが生むものは大きい。
今日も読んでいただいてありがとうございました。
余談
祖母は霊感があるようには感じませんでしたが、私の父が路頭に迷っていた時にダメ元で公務員試験を受けろと言ったらしく、父は全く興味はなかったけれど受けたら合格してそのまま大学に定年まで勤めたので、霊感に目覚めていなくてもこういう時に発揮するのですよね、霊性の強い異常干支は。
父も霊能者ではありませんが、時々、驚くほどの機転が利くというか、
神様やな!って言っちゃうほどびっくりすることをするんです。
私というのは、てっきり母方の曽祖母と祖母の霊性を受け継いでいると思っていました。
私の父と母が結婚した真理や、私が息子達を生んだ真理など、宿命を通してどんどん解ってくると、
んー、ちゃんと生きてやなあかんねんな。と思います。
人間の細胞どころではない、そう、量子の世界が私の頭の中で広がるんです。
今言った言葉、結婚して生まれた子供、あの時したこと、などなど、
全てが全てに繋がっているということが1人の宿命図から理解できるのです。
それは皆さんとも繋がっています。
ブログに時々書きますが、発する言葉は意外と人を傷つけています。
こんなことで?と思うようなものでも傷つく人はいます。(私のこと。笑)
みんな優しかったら少しずつ傷ついて強くなっていくような過程いらんのとちゃうんか。
人生の六分目まで来てそう思います。
七分目では何を思うのだろうか。
おばあちゃんは苦労していた時は日々必死だけど晩年は長男家族と共に暮らして不自由はなかった。でも家族が多かったので思うことは多々あったと思う。
あ。そういうことか。
不自由なく暮らしていようが貧しかろうが、思うことは多々あるということか。
どう乗り越えたのか聞いておくべきだった。
聞いてあげる事でおばあちゃんの心の穏やかでない部分も和らいだかも知れないのになあ。
でも、一緒に住んでいないし、私にとって意識しない人だったということは、私の役割ではなかったということだろうなあ。
まあ、トマトが嫌いだったのに、私の母が砂糖をつけて食べるよう勧めたら大好物になったらしいので、そういう一コマもある人生、楽しい事も沢山あったのだろうと思う事にします。
トマトに砂糖は私は嫌です。