亡き母と去年の3月頃にお寺に行く途中、
右の空に鳳凰の雲が見えて、有難うございますと心で言ったのを思い出しました。
鳳凰は、慈悲という意味も持ち、阿弥陀堂の屋根に飾られていたり阿弥陀如来と縁がある霊鳥なので、
極楽浄土に母を導いていただけたのだと後で確信しました。
母の治療が始まったぐらいから自分の体が一気に老化したように免疫力や自律神経が乱れ、去年の夏は心身共に地獄でしたが、私にとってのあの時の鳳凰は、幕開けです。
私の生まれ日甲辰は天堂星ですから老いて体力がなくなる時の悟った姿を成熟としますから、本当に体力の減退を感じ、その反面様々な葛藤からの学びも著しく、特にこの2,3年はその前の2,3年よりも凄まじかったので、この先の晩年に向けての幕開けを決定づけられたように感じました。
幕開けの前に地獄を見るの、なんとか出来へんかと、また神様に文句を言いました。
悪い事も宇宙から見たら良い事。みたいな宇宙の絶対を何とかしてほしいので、ことごとく、私は宇宙に、「人間は感情があるんです。宇宙の絶対に対して人間のキャパ少なくない?耐えかねるわけよ。耐えられなくて病気になったり死んじゃったりすることをどう思ってるんです?もうそろそろ宇宙側もそれを理解してくれやなあかんのとちゃいます?宇宙も進化せんと。」と。
おかしいかも知れませんが、本当に真面目に言うんですいつも。
真面目に、宇宙の絶対の進化を求めています。
全世界の人が私と同じことを祈ってくれればもしかすると早急に進化するかもよ。
エネルギーってそういうもんですし。
私は、霊的なものを自然に受け止めているのか、
感じるだけで過ぎていき、それをわざわざ言葉にして表さないです。
例えば、人は、
「風の時代」などもそうですが、
自然とそうなるものに名称を付けてそれを定義して他の人に伝えようとします。
それを私は後で読んで、へぇ言葉にするの上手だなあと思うのです。
私のそれと、定義されたそれが、そこで初めて言葉として私の中でまとまる。という感じ。
私と同じように感じているのか、それとも暦から導き出しているのかわかりませんが、言葉にしてくれている人がいることで、私もその言葉を借りて人に伝えられるので、感謝です。
言葉を借りますと、
土星から木星へとバトンタッチして風の時代に入り、同時に龍から鳳凰の時代となったんだそうです。
龍は陽で、鳳凰は陰。
ニコイチっぽいですが、実は鳳凰1つで陰陽両極持っておりバランス抜群なエネルギーということらしいです。
私の場合は、
これまで色々な経験をし、人に対して期待と諦めと自滅と復活を繰り返し、
なんとなく積み上げられたものは、そうした長い期間なら勝手にこのくらいは積まれるだろうというようなものだと思いますが、悟りを考え始めてからの極めつけは母の死からの学びです。
これら全ての経験が龍(陽)です。
経験からの学びが満ちると精神も整い、次はそれらを発揮する時が来ます。
これが陰陽両極を持つ鳳凰です。
私はいつも行くお寺の住職に、きちんと今ある店をやりなさいと言われ、その時に、火を使えよとも言われました。
言われる前にドーナツ屋と決めていたので、「うん」とだけ言っておきましたが、
私の時柱(生まれた時間)には午があり丁火のエネルギーがあります。
時柱というのは、時が来たら稼働するというようなもので、能力です。
まあ年齢も年齢ですし、経験もしましたし、そろそろ熟してもいいのでは?ということで、時柱が反応しはじめたわけです。
その丁火というのは、調和の意味があります。まさに鳳凰です。
生まれた日(日柱)の甲辰が御神木で龍神が宿り、実際私は龍神とご縁があります。
時柱の午が丁火で鳳凰であり、鳳凰は御神木に降りますから甲辰の側にあるのも、自然な形なのだろうと解釈しています。
私はこの長い葛藤から抜け出すフリでもしながら自分と外界のバランスを取っていく宿命なのだなあと染み染み思うのです。
私の宿命図に、神様のエネルギーが沢山あるようでめっちゃええやん。自慢か?って思う人もいるかも知れません。
ちなみに時柱の干は庚で第一守護神ですし、丁は第二守護神、戊は第三守護神でこの全てが私の宿命図にはあります。この守護神というのはある意味守り神ですが、スムーズに過ごせるエネルギーです。
私としては、神様がいるなら勿体ぶらずにさっさと私の望みを叶えて宿命通りに生かしたらええんとちゃうんかい。何で葛藤とかさせてんねん。という不満が90%です。
結局神様が側にいようがいまいが、自分がどうするかはっきり決めて邁進しないと、何も進まないのです。
あと、進めるタイミングがあります。これが運気。
身を以てこれを言えます。
長々と書きましたが、とりあえず運気を占いましょう。
タイミングは知って損なしです。
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