気で生きた木

覚ることについて書いています。

成人したら親と別居

宿命を表した命式に天中殺があると宿命天中殺と言います。

 

宿命天中殺がある人は、強烈にそれが人生に関わります。

そうでないと充実しないですから、その部分を活かすことが大切になります。

 

その部分というのは、例えば生年天中殺は親や目上の人との関係性、

生月天中殺の人は家系や環境の関係性、

生日天中殺の人は自分や配偶者、助けてくれる人との関係性

これらに対してなんらかのエネルギーが働きます。強く。

 

こういうのはよく占い師さんのブログなどに書かれていて算命学の基本的なところでもあります。

親から離れて自立して生きる事で開運するらしいです。

 

 

実家で親と共に暮らしていても、宿命天中殺の事象は気持ちの問題だと思うんです。

気持ちがあるなら行動にも表れて当然、かなと。

親と一緒に住んでいても、自分で自ら家事を行ったり、毎月きちんとお金を入れたりと、親の助けになっているなら同居していても良いと思います。

ただちょっと複雑かも知れません。

 

以下に私のことを少し具体的に書いていきます。

 

私は20代の頃に転職の際に実家に戻り、少しですが毎月3万ずつ家に入れていました。

仕事が出来ているうちは、とても充実していたと思います。よく働きよく遊びました。

結婚して経済的に最悪になり、最終的に私の実家にお世話になる事になりましたが、その頃も、離婚後も、子育て中も、その間は両親と同居ですが家にお金を入れることは出来ませんでした。

でも家事全般は母と共同でしていましたし、ご飯事はほぼ私がしていました。

次男が就職した頃には全ての家事は私がしていました。

まだ私の父はその頃まで仕事をしていました。

母は茶華道師範で毎日忙しいわけでもないし、私は外で働いたり自営したり。

馬力のある父のおかげでこの家族は平和で自由です。

私は経済力が無く、それを周りが許してくれないような感覚になったり、それと同時に、ずっと昔から感じていた社会とのギャップをもろに考えるようになりました。

母に対しては、茶華道の師範と主婦の両方をやれてるのは父のおかげでしょ。そんなのラッキーでしかないじゃない、それで私に色々言わないでほしいわ、と思っていました。

私を理解できないでしょって。

しかし、今思うと、私のことを色々話している時も、母は私を否定したことはないのです。

父とも、理解されていないなあというのが根本にあるので、その起爆になるような発言をされると腹が立って、喧嘩になりました。

父も私を否定することはないですが、完全に違う領域の人ということは今も思います。

私が親に求めているのは常識的な言葉ではなく、その時々での「私という人間」への的確な判断からの言葉でした。どれだけ私を見てくれているかが大切でした。

だけど、親から見て私が自由奔放にやっているように見えていると、常識を言いたくなるわけで、それが親の愛というものですが、私にはそれは効かないのです。

的確ではないからです。

これらは、日居天中殺の中にある、親から理解されない生日天中殺と、親を理解できない生年天中殺の現象だなあと思います。

この天中殺は、親の愛をこれでもかと感じたいのです。絶対理解していてほしいのです。

 

 

 

家にお金を入れて経済的に親の助けになっていると、自分の収入を考えるので仕事も安定します。

親と同居していて家事を自分がしていることでも親の助けとなりますが、人間世界は物質(財)の充実がないとなかなか認められませんから、家事などは感謝をされながらも当たり前の行為とされてしまいます。

言い方が乱暴になりますけど、結局、人間界ってお金がモノを言うのね。

何故かって、お金は人間の精神安定剤だから。

ということで、

成人してからも親と同居するならお金を入れることでこの天中殺現象は80%は消化されるんじゃないかと思います。20%は他の問題。

お金だけ入れて感謝無しの心では天罰が下りますのでご注意ください。

 

今日も読んでいただいてありがとうございます。

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余談

私の場合は子供に寂しい思いをさせたくないという理由と、私には一人で子供を育てるとか無理だという思いで実家から離れませんでした。

子供にとっては正解だったかも。

とすれば、私の行動は、人(子供)の為となったか。と。

気持ちが、自分本位でないことが大切だと思います。

特に宿命天中殺がある人は、それが決め手になると思います。

常に、誰かの為にを思い、自分がどうしたいのかを考えることで、軌道に乗ります。

軌道に乗れるのが遅いと感じていても実は生まれた時からそれは計算の上でのこと。

何から始めてどの道を歩き何をして終わるのかが人生なのね。

 

 

話は飛びますが、

最近あの知恵袋の占いジャンルで、どなたかが占いについて質問しているのですが、コメント欄に、占いを全く否定する人達のコメントがあったのでさらさらっと読んでみました。

面白かったです。

占いを信じないというのは、占いを必要としない迷いのない人達だと思うので信じなくて良いのだけど、

批判する理由を知りたく読み進めていました。

見えない世界であり、自分が知らない世界を受け入れられないし、

言われたことが本当であっても違っても占い師に責任は無いのに金は取る。ということが気に入らないみたいです。

まあそうやわな。と思いました。

だけどね、考えてみてください。

近所の人に相談するのとは違うわけで、一人の宿命を時間をかけて読み解くというのは、その人の人生と向き合う特別な行為ですし、赤の他人がそれをするわけです。

世の中でも一人の為だけに何かをするというのは大変貴重とされていると思います。

まずそこで特別だということを感じてほしいし、対価があって良いのではないかと思います。

占い師に責任があるのは、その時言える事と言わないほうが良い事の判別が確かかどうかのみだと私は思っています。

お伝えした事が本当に起こるとか起こらないとかは、実際のその人の行動や周りの人の行動次第になりますから、占いは当たるのではなくて、そういうエネルギーがあるよということのお伝えです。傾向です。

どこの会社でも傾向と対策は重要でそれと同じことで、人生も傾向と対策で開運(充実)していくのです。

そこを踏まえて相談されると良いと思います。

また、デタラメを言う占い師に出会ったなら、それは私流に言うと歪みですから、

何がどうしてそうなったのかも理由はあると思います。

占いの世界はどこまで行っても発見があり、その都度悟り、それは終わらないので、

私はデタラメは言わないけど今わからないことも沢山あります。

占いに頼っていてはいけないですが、一つの標識だと思っていただけるといいなと思います。