気で生きた木

覚ることについて書いています。

古舘さんに感謝した

 

昨夜、まつもtoなかいという番組で、郷ひろみさんと古舘伊知郎さんが出演されて、

プロフェッショナルとは何かという話をしていたと思うのですが、見ました?

 

その時に、古舘さんが、「朝起きてから大体は答えのないことを考えていますよ」

と言われたんです。

それを聞いて本当に嬉しくて涙が出てしまいました。

それを今日父に話す時も泣いてしまいました。

「答えがない事を考えていないと1つのことをこんなに出来ないですよ」って古舘さんはその後もお話を続けられたんです。

私は、生きていて良かったと思いました。安堵して泣いたんです。

こういうことは、社会をみっちり知っている先輩方から聞くと、励みというよりも安心しますね。

 

 

考えても仕方がないこととするのか、考えるべきことなのかの判断は、一概に言えないのですが、

常に純粋に疑問を持ち追究する姿勢は至って前向きで生産的です。

最も人間がすべきことであり、宇宙が人間にしてもらいたいことだろうと思います。

 

(私のブログには常に宇宙という言葉が出てきますが、宇宙は空間であるばかりではなく、私達が存在する空間という事実をまずもう一度頭に置いていただいて、

存在にはエネルギーが必要だということも踏まえていただくと、スピリチュアルに対して現実的に考えられるものになるかな。と思います。)

 

宇宙は絶対なので、してもらいたいというより、答えがない事を考えて自分を成長させるというのは絶対条件に含まれている。と、言葉にするとそうなります。

常に純粋に というところが重要です。

損得勘定がなく、多方面から考えます。そして答えらしきものを得る。

得てからも疑問を残しつつ次へと進み、どこまでも答えらしきものでしかない。

芸術家とかアスリートとか邁進する人は、それが明らか。

 

小さな脳みそで考えて考えてブツブツあーでもないこーでもないと考えることは駄目なことなんだと、それこそ現実社会に不要なんだと思わされていたのですが、いや、やっぱりそうじゃないと確信出来ました。

鬱にもなり色々と葛藤が多い人生ですが、純粋であるならば、答えでなくても、答えらしきものでいいのだと思います。

悟りきれないというのはこういうことなのですよね。

 

なんだか取り留めのない文章になってしまいましたか。

まあ、わけわからないことを書いているブログです全体的に。

 

 

余談

今日、ストロベリームーンの翌日で月は少し小さくなりましたがとても綺麗です。

そしてちょっと龍王様にお願いをさせていただいていたので、もしかしてと思えばやっぱり、月の周りに大きくとぐろを巻いていらっしゃいました。

何かを伝えにきてくれたのかも知れませんが私にはさっぱり。たぶん私のお願いについて何か言いに来てくれたんだろうと思うしかないのです。

ただ、結果は出ます。後に。

先日、占いにお越しくださいましたお客様が、スピリチュアルな出来事があってもそれが思い込みなのかどうかがわからないとおっしゃったので、他の人もそういう出来事があったのかネットや本で知るしかないと答えました。

なんて一般的なことを言ってしまったんだろうと後で反省もしつつ。

思い込みかどうかというのは、信じていいのか迷いがあるということですよね。

証明は出来ませんし、起こっているスピリチュアルな現象はその人へのメッセージですから、御本人がピーンと来たらそれでいいのです。

そこで何を思うか、どうするのかを問われているのです。

間違った答えを出してしまってもそれはそれで必要で、そこでの学びが必要だったということです。

 

 

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