気で生きた木

覚ることについて書いています。

母の事など。

母の知人の方々には失礼を知りながら、娘である私の思想だと思って通り過ぎてほしい話です。後半はこれを下書きした後日に追記しているものとなります。

 

この家に住む家族だけで母を見送り、まだそんなに経っていません。

葬式も墓もない。というのが、この家の決め事です。

私達家族がずっとお世話になっていたお寺で供養していただき、それが葬儀となりました。

戒名に院を頂き、母にも私達にも、最高の葬儀でした。

母の旅立ちを、出来れば誰にも言わずにいたかったけど、当然それでは済まされず、

母と交流のあった方々が日を変えては訪れて、手を合わせて泣きながら話をしてお帰りになる。

生前の母に親しみを感じていただいていたことは、改めてその場で感じさせられます。

 

 

ですが、実際、私はもう耐えられず、

しまった。葬式をすれば一度で済んだのに。と心底悔やんでいる次第。

葬式をしない理由は、「静」を極める為ではなかったか。

これでは、葬式をしたほうがよかったのでは。

せめて、葬式でなくても、日を決めてその日だけ来ていただいたら良かった。

いくらお断りをしても、断りきれず、失礼過ぎてもいけないし、

それを一人ずつ何度も対応しなくてはならなく、いつ終わるのかという状態。

夏目漱石なら何と言うだろうか。などと考えたりして。

(只今「夏目漱石」を改めて拝読中)

母を親しむ気持ちへの感謝とは裏腹に、あーもう嫌だ−と心の叫びが、段々大きくなってくる。

49日が終わるまでと父に宥められていますが、その後来ていただいてもうちには拝んでいただける仏壇などはありませんので、ご遠慮いただきたく。

 

 

 

私は占者なので、勿論家族の宿命も判断しています。

私の宿命から言えることは、母の世話をすることになっていて、それが私にとって、

社会貢献であり、体験です。

父や周りの人に、母の世話を凄くしてくれた、と言われますが、

特別な意気込みはないし、娘だからとか、そういう意識もないです。

ただただ、「宇宙的絶対」「無意識の当然」ということのみで。

宇宙は自然が破壊されてくると気候や地に変化を起こして直そうとしますが、それと同じことです。

(みんなそうだと思っていました。そうではない人もいるということを占いを始めてから知り、人というのは自ら複雑にしていく動物なのだなとその時思った。)

 

 

以前土星木星のグレートコンジャクションのことを書きましたが、

土星は大きな課題を木星に託していくそうです。社会で言えば、風の時代に必要なのは何かという課題ですね。

母と私の関係は、土星木星の関係と同じです。

まさにあの瞬間に母は大きな目眩がして病院に運ばれました。

次の時代との繋ぎは、揺れます。

母は何を繋いだのか(課題)というと、父のことです。

母の命式から判断すると、私が父のチカラになることを望んでいます。

今私は、父を活かす為に存在するわけです。

父を労ろうとか敬おうなど、強いて思っていません。

母に言われたわけでもないのだけど、私の魂が母の魂の呼びかけに応じようとしています。

家族というのは、そういう魂の結びつきで存在していることがわかります。

これも宇宙的絶対なのだろうと思います。

 

五行で言うと、私は甲木(陽)→父は丁火(陰)→母は己土(陰)で、相生関係の並びとなります。

木は火を生じ、土を剋します。

私と母は陽と陰なので、愛ある相剋となるのが自然です。相剋関係なので愛の在り方はすんなりとはいきません。

母は、茶華道の師範で、その道に66年間、魂を預けた人でした。

古い茶人だから、知る人は、もう少ないでしょうと母自身が言っていました。

私は、子供の頃から茶華道に浸る母を好きになったことはありません。

私の理想の母ではなくなるからです。

点前や歴史背景など、意味を重視し、誰も知らない事でも教えてきた人ではありますが、道(どう)を教える者としての厳しさが母にはなく、

誰にも優しく、私には到底我慢ならないものも、母は許している様を見て呆れていました。

道を厳しく教える母、母親としての母、でいてほしかったのですが、

ただただ純粋に茶人であり、優しい人でした。

家庭的なような、そうでないような、うん、そうではないな。という感じの母ですが、

愛情は沢山頂いた実感はありますから、娘の思いとしてはぎりぎりセーフというところです。

母の今年の運気には対冲納音があり、何もかも解脱する時でした。

お茶で何かしたいことはないのかと聞いたら、「もうね、ほんとに何もないんよ」と言っていました。

「そう。良かったね。」と私は答え、そこで母の死が本当に近いことを覚悟しました。

調舒星が中心星なので、特別な一芸で生きて本望、やらなければ生きていけない宿命の持ち主でした。

 

 

千利休が夢に出てきて、お茶を点てる意味を教わったのだそうで、

あちらで利休に会いにいくか、母が住むお寺で利休と共に点前をするのだろうと想像して、毎晩それをお経を読んだあとに私は祈っています。

もしかすると、余計なお世話かもしれないので、「母が望むなら、」と付け加えなければいけないな。

 

 

 

母の通院が始まって私が常に行動を共にしてきましたが、そうやって1年半が過ぎたんです。

この1年半で、私に体験や覚悟をさせてくれました。

面白いもので、そうやって時間をかけて徐々に心の動きが変わってゆくのがわかり、

これが自然なのだと実感できてくるわけです。

非常に客観的にこの様を見てこれましたし、学びが大変大きかったです。

母には、「人とは」を学びました。

学びましたが、それが宇宙の真理ではないことも私は知っていて、

どちらも理解していかねばならないということが更に明確になっただけのことで、

私の葛藤はまだ宇宙と現実社会の間にあります。

わかっちゃいるけどってやつね。

 

 

ある時、社会と私の間に自刑というエネルギーが生じるので私が良いと思って始めたことも他の人に邪魔されてブレてしまうという話をしたんです。

それを気にしていたのか、母は、ある日突然、

「小さい頃からブレてないよ。うん、ブレてない。」と私に言ってくれたんです。

実際転々とした職場でのブレはありますが、自分の中のものはブレていないかも知れないと思えてきて、母の、この言葉で私は私に気づき、救われました。

 

母と私は、なんとかぎりぎり解り合えて、私は次の課題も与えられて、

そして私自身の課題もはっきりしてきて、と、

どんどん宿命通りに進んでいて、宿命通りということは、

私が持つ宿命天中殺もしっかり存在していますから葛藤も引き続きあり、

精神的な過酷さは続いていますが、

大きく扉が開いているのに外に行けないこれまでとは違い、

少し遠くに見える小さな明かりを確実に目指している私がおります。

母の死からここまでを思えるようになるのに約2ヶ月。

皆さんは私より精神的にもっと大人だろうと思いますが、私はやっと現実を把握し始めました。

だって、デリカシーがないんだもの、世間って。邪気で自分を汚されるなんて絶対嫌だと未だに思っていますが、

2:8で折り合いをつけたるわ、という具合でなんとか自分なりに今日まとめることにしました。

そうしたら、ゆっくりと、気が動いているのがわかるんです。

運気がそのように動いていて、出来事や思考がそのようになっていくのです。

開運とは、その人の宿命がうまく稼働することです。

開運のチャンスが人生にはいくつもあるのです。

次のチャンスを逃すな。

 

 

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