気で生きた木

覚ることについて書いています。

思わなくてもいいの

私について話す度に、

話さなければ良かったと毎回後悔します。

聞いてくれる人がいるというのは有難いものですが、

最近それが屈辱にも似た孤独を感じて、憂鬱。

一人でバカみたいだって思ったりして。

 

真剣に聞いてもらえていないだろうし、

理解もしないだろうし。

(そう思う事は、相手を馬鹿にしてるのかと自問自答もしてみたり)

私は相手に、私を理解しようとしてるよ!凄くね!っていう反応を求めているんです。

ほんとに子供みたい。

 

 

父にこれを言うと、

「わかる。でも、それは思わなくていいんよ。」と。

そこで思い出したのが叔母(父の妹)のこと。

ズバズバズカズカ何でも言う人で、文句を言われても平気な強烈な人。

「そうよな、思わなくてもいいんよな。叔母ちゃんみたいにどんどん言いたいこと言ってる人の方が強いもんな。」と父に言うと、

「間違ってもああはなるな。間違ってもやで。」と。

父と大笑い。

 

 

なんでだろう。父の、「思わなくてもいいんよ。」

の一言で解決したかのように心がすっきりした。

いや、初めの「わかる。」で私の心をとらえているのか。だから、あとの私の考えに対しての否定文があっても、総じて肯定したことになっている。

という技だな父よ。

 

 

この先もまた何度も同じことを思うかもしれないけれどね。

何度も父の言葉を思い出しますよ。技をね。