私は、スペシャリストが説くものしか耳に入りません。
どこどこの誰が〜なんだって。という話や、
そうみたいですよ。という話は、聞こえてきたという感じにしか捉えていないです。
自分が興味がある事であっても、
自分の目で確かめるまで信じ切る事は皆無。
いくらネットで定説があっても、特に学びたい事については例え長く時間がかかってもいつか目で確かめようとします。
で、話はそれますが、ここからが実はメインで。
私自身はスペシャリストなんてとてもじゃないけどおこがましくて言えませんが、専門的な仕事を基礎から学びして来ているので、いくつかの分野は専門的な知識と技術はそれなりにあります。
でも、
何故かわからないのだけど、
私が専門とする分野の話を、
〜なんですって。と私に話す人もいて、
なんというか、複雑な気持ちになります。
笑ってそうですかあと返答しながら、
私がしている事をこの人は知っているはずなのに、
私ってそんなに無知に思われているのだろうか。と、考えさせられます。
そこで、私も知ってるよと
知識を出せばいいのでしょうけど、そんな意識ゼロ。 生きるのヘタだなあ。
これも、宿命通りと言いますか、
私という人間は居るようで居ないのです。
その人の記憶に留まらない。
コミュニケーションをめちゃめちゃ必要な時以外とろうとしない。
まず私があまり他人に興味がないので、ミラーだな。他人から見ても私には興味がないのだろうと。
(他人に興味がないというか、人間の生き方に興味があり、個人に興味がないということです)
とはわかっているものの、
誰とどのような話をどのように話すのかは、
人として自然な礼儀だと思います。
なので、
「それ私に言うのはアウトでしょ」です。
なんと言えばわかってもらえるでしょうか。
派手でバリバリ生きている人でも、
地味に趣味もなく地道に生きている人でも、
やはり、
他の人より一歩下がって、
粛々とした意識で、
静かな気を持ち生きるということが大切なのです。
ご自身が発する言葉が、
今 適しているのか、周りの人はどう感じるのか、
それを考える事が日常的に出来るようになる迄、
人と接する事に少し緊張して丁度いいくらい。
今しようとしている事が美なのかを考えるようになれば生き方そのものが美となります。