気で生きた木

覚ることについて書いています。

死という結論

自分が光るか、自分を犠牲にして他人を光らせるか。

 

竹内結子さんを勝手に占ったのは2年ほど前ですが、

 

彼女は自分が光らなければならない甲辰です。

 

思うに、

 

自分が光るようにするには、他人を光らせるより難しい。

 

女優はピッタリでした。

 

 

 

甲辰の悟りは内面の激しさから生まれます。

 

そして虚しい。自分が光って、自分の宿命を全うしても虚しいかも知れません。

 

それまでの葛藤は他人からは決してわかりません。

 

彼女は日居天中殺と生月天中殺をお持ちです。

 

それだけでも彼女の人生は一筋縄ではいかないとわかります。

 

ご主人が乙巳で甲辰と同じく日居天中殺をお持ちです。

 

日居がダブルは虚しさダブルという感じではなかったか、

 

不謹慎ではあるけれど占いをする者としては問うてみたい。

 

 

 

運気というのは巡り、そのうちに何らかの答えに納得させられます。

 

その納得が生と共にあるのか、死と共にあるのか。

 

私自身は、

 

人間は最高を得たところで大したことはなく、つまらんな。と思います。

 

親も子供もいて芸術にも触れ、沢山の幸せを経験していて感謝もしていますが、

 

宇宙、自然界の絶対に、決して及ぶことのない社会にいると、

 

ここに居る違和感を感じますし、

 

どうしてもこの宇宙のどこかに存在しろと言われるなら、

 

個体でなく気そのものでいたいと思うのです。

 

この考え方は、死に繋がるものかも知れません。

 

ただ、死を選ぶという行為は、自然ではありません。

 

それだけの理由で私は生きています。

 

 

 

ついでに。

 

死を選ぶのは罪だと言いますが、

  

常に多数決という社会、その後ろには正しさを持つ者がじっと耐えていることを

 

一人一人がわからなければ、本当の悟りはありません。

 

何もなく平穏であることに感謝はしていても、

 

本当に自分の行動を振り返る人は少ないです。

 

普通に良い人は沢山いますが、真理を探る人は少ないです。

 

自分は違うと思わず、気づいて意識することを自然に死ぬまで全うすること。

 

チャレンジしてみませんか。