気で生きた木

覚ることについて書いています。

意外と重要な雑記11:対応策

 

生きる意味とか覚りとか

そういったことを学んでほしいなと思う人ほど

そんな世界には興味がありません。

考え、悩み、より良い結論を出したいと切に願う人がこの世界を知ります。

解消の仕方の違いだと思います。

 

 

精神世界については、

仏教、神道は勿論、創造主など様々なものを知り尽くしたい私ですが、

一番先に取っ付き、そして一番最後に真に入ろうとしているのが仏教です。

釈迦の教え、そして仏陀達の精神に興味があります。

実と虚を学ぶ苦しみは精神が崩壊しそうになるので、そこに興味があります。

 

 

 

仏教と算命学

仏教でいう煩悩というのは人間が持っている煩わしい悩みです。

自分の欲により自分が悩むという、言わば自分勝手な悩みです。

ですが、人間は煩悩しかないので煩悩を取ってしまうことは出来ません。

煩悩があるから苦しいのに、煩悩を取ることはできないので、

じゃあどうするのか。を徹底的に教えてくれるのが仏教でもありますが、

万人に向けてその方法が示されていて、それが生きる意味であり、

根本を覆すことに徹しています。 

極めて最高の真理です。 真理に最高とか変だけど。まさに私好み。

真理とは、どこから見ても正しいことです。

 

仏教では、真理である生きる意味を全ての人間に対し説き、

算命学では、煩悩ありきの人間の一人一人にそれぞれの生き方を示します。

 

どちらも、「対応策」と捉えて〇。

即ち、覚りです。

 

 

個人的に思うことですが、やはりいつものようにこの目で確かめないと

いくら釈迦が「絶対」と説いても、私はそうですかとは言わないです。

ただ、私が感じている気と説かれている事は合っている。

・・・・・前世が仏陀で、すり込まれてるからかも知れませんけど。

 

極めていかなければ今の環境が常識という観念から外れる事はできませんが、

何もかも窮屈なんですけど!と悩んで死んでしまう人が減りますように

苦しむ人が減りますようにと願っています。

妙な常識がこびりついていないか、ちょっと向き合ってみてください。

仏教も算命学も「世間」で生きる人間が「充実の魂」のレベルに近づけることを

応援しています。

 

 

 

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