気で生きた木

覚ることについて書いています。

創造主とエネルギーと宿命は≒です。

創造主が自分を分散し人間の体にそれを送り込み、その人間を通して分散した自分すなわち魂を満たす。

ということを前提とした思想があります。

算命学も同じく。

 

私は自分がしていることについて常に多方面から見解したくなります。

創造主なんて言葉も人間が作ったものですし、一行目の内容なんかそもそも人間が後付したことでしょうから誰がそれを証明してくれるのかってギロッと睨んでしまいます。

 

たぶんきちんと物理学や宇宙を学ぶ人達はとっくにしれっと知ってることなんだと思いますので私が語ることではないのかも。

ただ、私自身が感じていることを書くと、

創造主というのは万物を作る大きなエネルギーで、そのエネルギーを分散した理由など

人間ごときにわかるわけがないと私は思っています。

 

それは単なるエネルギーの爆発であり、意思はないだろうと思います。

創造主と言われるほど大きく無限のエネルギーで、

分散したからには成分も分散され、

その足らないところを人間を使って充電していて、

完全に充電できると巨大なエネルギーの元へ帰り原型に戻そうとしている。

または、別のところで新しく大きなエネルギーとなっている最中だということ。

何年前に爆発したんだろう

天文学のかたは知ってるのだろうなあ?

 

追記。ビッグバンが宇宙の始まりとするので、天文学の方は勿論ご存知だと思います。

それが創造主の分散になるわけですが、分散の理由が、擬人化された言い方をしたりする場合を見かけるので、天文学的に見た表現の方が胡散臭くなくていいと私は思っています。

 

この分散された後の成分で、補わなければならない成分が決まる。

それが人間の宿命。

「やるべきことをやる」を算命学では「消化する」と言っています。

「宿命を消化する」

宿命は補わなければならないエネルギー、消化は人間が頑張って勝ち取るその行為。

魂と自我ということ。

これを成立させると、質の良いエネルギーが出来上がるということ。

人体は死を迎えると、結果的に質が良くなかったり、補えなかったりした場合、

次の体へと移り、なんとしても良質のエネルギーを満タンにしようとします。

次の体へ移ることは輪廻転生となります。

人体は死にますがエネルギーは存在し続けます。

エネルギーが持つ本能的な動きとして、そのエネルギーの成分とこの人間の自我が良質のエネルギーを生むだろうという人間種別ができるのではと思います。

でも、人間の自我がそれを邪魔してしまうこともたくさんあって、

エネルギーは人間に道を示しているのに、

人間の自我が勝手に間違った方へ歩く場合、

結果的には人間は幸せとは思わないことになります。

充実感がないのだと思います。良質のエネルギー獲得失敗となります。

 

エネルギー=宿命=歩くべき道を知ることが結構人生には大きく関わると

思ってもらえれば、やりがいがあるのだけど、、、、、、

 

これを読んでくれた人には、感謝いたします。

 

rokushocafe.jimdofree.com