気で生きた木

覚ることについて書いています。

意外と重要な雑記10:生まれてきた意味は

 

魂が選んだ両親の元に生まれ

自我が目覚め

人間界では自我の成長を目的とします。

 

生まれてきた意味を

何かに追い込まれた時に考える人が多くいますが、

生まれてきた意味を深く追究しているのではなく

ただ現状に愕然としているといったところ。

 

世の中に自分は必要ではないと判断し幼くして亡くなる子供もいれば、

社会に生きる大の大人にもそのケースはあり、

見るに見かねます。

 

死ぬほど悩むという現実はどれほどに辛い事かと心を痛めますし、

そんな人に向かってもっと深く考えてとは言えません。

なので前以て全ての人が素直に心に留めておいてほしいのです。

生まれてきた意味とは、

生かされている者が必死で宿命をこなすこと。

 

 

これは私個人の気持ちですが、

生まれてきた意味をぼやっと考えるというのは、非常に贅沢だなと思います。

生かされし者だからです。

そこに自我としての意志は無いと思っています。

 

今日誰かと喧嘩したとします。

その夜に腹が立ちながらも相手の事も自分の事も考えて、

今回自分が犠牲になる事で進めることが多いのか、

総合的に見てどうあるべきかと考えます。

時には相手に反省させるため成長させる為の行動も勿論あります。

それが生かされし者がすること。

相手と意見が合わない→相手を攻撃するか自滅する

というのは人であって人でない行動ではないかと思います。

私が攻撃する時は、侮辱された時です。

自分の精神のレベルも問わずして何故他人を侮辱する発言ができるのか。

と思っています。

 

番外編として、

意見がもつれた時などに、黙ってしまう人がいます。

社会はその沈黙を美とする場合がありますが、

煮え切らんというのは私が最も嫌いとするところ。

 

 

 

本当に辛い時、死にたくなるのはとてもわかります。

でも、まだまだ手はあるのですよ。

生かされし者として与えられた宿命を進むことがそれです。

皆さんに、気付け気付け~って思っています。

 

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