幼少の頃のはっきりとした記憶
3歳の時
かおりちゃんという女の子が
別のかおりちゃんという女の子に
何か悪いことをしてしまったらしくて
保育所の上り棒に片手で掴まって
ぐるーっと回ってから
「もう死にたいけど小指を挟んでも死ねないのかな」
って言うのです
私は死にたいという気持ちなんて
3歳児にしてありませんから驚きました
驚きましたが
かおりちゃんは 本気 ではあるけれど
狂気 は感じなかったので
この子死なない ということがすぐに解りました
何故小指? 小指挟むと死ねるとか聞いたことがない
死なないのに死にたいって私に言ってる 変なの
と思ったのを覚えています
もうかおりちゃんの心配はしていません
死なないから
何のために今こうして話しているのかが
私の中で問題になってきて
死なないのね?死なないのに? 早く誤ればいいんじゃないの?
と心で思ってはいますが
かおりちゃんには言いません
丁度保育園バスが発車する時間となり
この場は打ち切りです
場面は変わり
祖母の家で
この時は小学校の低学年の夏休みだったように思います
お昼ごはんだから起きなさいよと
居間で昼寝をしていた私に
祖母が声をかけにきました
祖母が覗き込んでくるのを目をうっすら開けて
もう少しゴロゴロしていたくてまた目を閉じると
叔母ちゃん、いとこ2人、お手伝いさん
みーんなを呼んで
「寝てると思う?嘘寝?」とやっているのです
私は 大人達の意地悪な冗談とグループというのが嫌いだったので
そのまま目を瞑って
早くどっかへ行けしょうもない大人達め
と思っていました
普通の子供は
嘘寝って言われたところでそれが本当なのだから
へへへって笑って起きると思いますが
私は
今食べたくないんだろうからという優しい気持ちになれないの?
こんな事でみんなで寄って大人気なくて
馬鹿みたいで意地悪で大嫌いだわ
と感じてしまいます
幼少の私は
何人もで私一人を責めたという形に捉えています
大人達にすれば冗談なのですが
その冗談に含まれる意地悪な要素を
一番先にキャッチして
反抗を表立ってはしないけれど
心でこの大人達を軽蔑しているのです
そしてとても悲しい気持ちになります
オーバーな子だな 全く
気を真っ先に受け取るからこうなるようです
感受性より先にパチッと音がして
小さな爆発が起こって
そこから感受性が稼働して
起こったことについて結論をつけるという感じ
この流れで星の話へ
その人に関連する図として
命式というものがあります
私の場合
命式の中の陽占(算命学で使用します)では
初年期に子供らしい星(1天貴)があります
上に書いたことから考えると
子供らしい?と首をかしげましたが
鍵っ子なのが嫌で
母に仕事を辞めてとお願いしたらしいので
ちゃんと子供らしいところはあったようです
プライドも高く真っ直ぐな星(2牽牛と3貫索)
もあるので
扱いにくさを周りはかなり感じると思います
この3つの星の2と3を1が支えている形が
初年期(~30歳頃)の形
そう考えるとカチカチでは人との交流が難しいので
若さ緩さで中和できるようになっているのかなと思います
実際今の私からは考えられないくらい
20代の頃は年齢問わず友達が非常に多かったです
親の理想としては
子供らしく賢い子であってほしいといったところでしょうか
この場所は親の理想の場所でもあります
悪い方へいくと(陰転)
123全てが強調して葛藤の末の破滅ということになるでしょうか
私自身は陰転もした気がします
特に社会に対して葛藤します
初年期は社会に出て10年ほども含まれますので
大切な基礎作りの時ですが
やりたいことをするべき人と
やりたいことではないがやり続けられる人
がおりまして
私は前者ですから理不尽が多かったことは確かです
私と同じ星が同じ位置にあるかどうかは
鑑定しなければわかりませんが
もし同じであれば
若く 早いうちに
自分に合った誇りを持てる仕事と出会ってほしいです
そこでプライドと真っ直ぐさを出し切って
誰になんと言われようとも
ブレないものを持ってほしいです
人との関わりは大切ですが
それよりも自分の道を邁進するほうが先勝
自信が何よりも必要となります
自信があればブレても戻るのが早いです
周りの声が聞こえなくていい時の方が
多いかもしれません
自分を活かす国、地域、人 の見極めも
非常に重要となります