気で生きた木

覚ることについて書いています。

私のこと1:ブログはじめ

 

魂 という明確な言葉を意識してきたわけではありませんが

物心がついたころから

常に自分の中にもう一人存在していて

私がしていることを傍観している気がしていました

精神世界に意識が向くと

否応なく魂への意識転換が必要となります

 

魂とか覚りとか 

ちょっと難しそうだけど全然難しくない

一番何よりも皆さんの傍にあるものなので

興味を持っていただけたらなと思います

 

 

 

 自己紹介的に・・・・・

 

私は3歳の頃から母方の祖母の信心のおかげで

本当に自然な形で精神世界を知りました

祖母は朝から東西南北の神仏に

何やら小さい声でブツブツ言いながらお祈りをします

雨を止めたり 

痛みをなくしてくれたりしました

修行を勧められたそうですが

祖母は面倒だったようでお断りしたそうです

曾祖母も手を当てて

腹痛を治したりしていたと聞きました

母はそういったことは出来ませんが

予知夢を見たりするようです

奇妙な家系?

古きフランスなら魔女狩りに合っているかも知れません

 

 

私はと言いますと 

幼少から今までずっと

目の前のものを見ているのだけど

この目で見ていないような、、、

ここに居るのだけど

ここに居ないような感覚で

特に家でなく 

人と関わる外にいる時にそういった感覚になります

 

 

それと関連しているのかどうかわかりませんが

 

その人を拝見するのとほぼ同時に

本質がスッ スッ スッと見えます

見えるといっても霊視のヴィジョンではないです

気(エネルギー・周波)だと思います

「わかる」という感じです

大きく沿革がわかる場合と

点でわかる場合とがあります

そこで見えているのが本質=魂

というわけではありません

自我の本質です 奥の方の自我

あとは病中病後の体調や

精神的ストレスが酷い人は

全身がグレーか黒に見えます

 

 

小さい頃からこれまでの私の感性は

算命学の教えに通ずるものが沢山あることに気付き

感じ得てきたことは間違っていないと確信しました

自然か否かを見極めること 

それが算命学と私の共通点です

 

全人類に共通して言えるのは

正しい生き方とは人の為に生きる事です

私もやっと納得して生きられる方向が

見つかりました

損得ではなく 

魂が喜ぶ生き方を見つけるのですよ

 

精神世界のお話は若年者が読むと勘違いをしてしまうかも知れません

自分に都合のいい解釈は駄目です