気で生きた木

覚ることについて書いています。

スピリチュアルな話を。

ブログは何も書けずだし、他にもしないといけない事が出来ずにいます。

なんでこんなに時間が止まったような感覚が続いているのかと思いきや、

停止のエネルギーが回っていました。

なので何も考えずにスピリチュアルな出来事を書きます。

 

 

私に起こる身近なスピリチュアルは、龍雲からのお知らせや、神仏に呼ばれて寺社に行ったりします。

耳鳴りもしますが、

そんな音鳴らされても何の知らせかわからんからやめてと言って拒否します。笑

肩凝りの時の耳鳴りはすぐに止まりますが、何かのお知らせは結構長いので。

 

 

母が亡くなるなんて思ってもなかった頃、このブログに書いたか忘れましたけど、

見上げた空に、雲が流れてきて、その形が、船の周りで僧侶が何人か手を合わせていて、その船には小さな龍が入った箱が乗せられていました。

小さい龍が死んじゃってどこかへ僧侶たちがお見送りしているんだって思いました。

衝撃でしたが、何を伝えられているかまで考えませんでした。

母が亡くなって、あの小さな龍は母だったんだと気づきました。

私は母が病気になったのは私がストレスを与えたせいだと思っていますが、

あの雲を思い出し、また、母がやりきったと言った時のことを思い出すと、

寿命だったのですよと慰められているようで、少しは救われるのです。

母が亡くなってから、龍雲が来てみるみるうちに龍の顔が母の顔になりました。が、不細工だったので、変な顔やなって言いました。ひど。笑

 

母親との関係というのは、算命学の視点から見ても非常に重要ポイントです。

現状、どうしようもなく母親を鬱陶しく思う人は、自分の心に問題があり、またそれと同じくらい母親にも心に問題があると思います。

ありがとうとか、大丈夫という言葉で、お互い穏やかでいることを意識して、一段上に登るべし。

私はマザーコンプレックスだったなあと自分で思います。まあ本能ではあるけれど、歪みとなって出てしまうとお互いストレスになりますね。

 

 

龍の気は雲だけではないのだけど、先日も龍雲が何体も空にいて、私のところには雲として現れてくれるようです。

その横に鳳凰がいて、その横に十字の雲がありました。

鳳凰は吉兆。

十字の雲は、どう見ても飛行機雲ではなかったので十字雲って何か意味があるのか検索したら、

沢山の愛を受け取ってくださいという意味だと書かれていました。

あら、嬉しい。

迷っていたことがあるので、天が祝福してくれるならと思うことにしました。

いつも行くお寺の住職も背中を押してくれたし、進めということのようです。

 

そう言えば龍雲を見るときは、なんとなくその気配を感じて空を見上げるといらっしゃるから、現実に何か起こる時とか知らせを待っている時だなあと思っています。

龍も鳳凰も、誰かが考えた空想であるはずだし、詳しいわけでもないから鳳凰なんて形もはっきり認識していないのに、雲として現れて、それをはっきり鳳凰だと認識できるのが不思議。

 

 

 

起きる事は全てエネルギーの仕業。

エネルギーとエネルギーがぶつかって色々な物事となり、結果となる。

自分が発するエネルギーは、常に穏やかで正しくありたい。

スピリチュアルの世界では、それを意識して生きることになります。

そうでないと心がガサガサします。

それは悟ることでもあるよなあとも思います。

人生はエネルギーとエネルギーの接触により始まり終わる。

何度となく死ぬまで次から次へと接触して絡んだり解れたり。

それを私はまだ面白いとは思えず、面倒臭い。

闘っている最中だからでしょうか。

 

 

今日も読んでいただいてありがとうございます。ボタンもよろしくお願いします。

 

余談

スピリチュアルとは真逆のことを書きますよ。

スピリチュアル的に生きると実際はしんどい。

やはり人間は人間らしく目の前の事をコツコツとやりながら時々緩んだりするのが生きやすいと思うの。

4月から5月にかけて、地元のスーパーで買い物をしてシールを集めると柳宗理の調理道具を割引価格で買えるっていうキャンペーンをやっていました。

柳宗理のフライパンが以前から欲しかったので、毎回シールをもらって集めて、

大小どちらのサイズも安く買えました。

普段はこういうことを絶対しない人なので、自分の事ながらびっくり。

一瞬、世間に馴染めた感じ。笑