気で生きた木

覚ることについて書いています。

スピリチュアル続

前項に引き続き、スピリチュアルなお話を。

 

母は、11歳から77歳の亡くなるまでの66年間、茶華道に生かされました。

これがなかったら死ぬと、いつも私が行ってるお寺の住職に言われたことがあると言っていました。

この世というものに、私と同じく虚しさを感じているのだと私は思いました。

だから無心で突き進むものを持たないといけない人ということです。

算命学的に見ると、母の主星は調舒星で、燃え尽きてなんぼの人なので、住職の言葉を私は納得できます。

親にも出来ないほどのことを、あれだけ尽くした師匠にありもしない事を言われ破門のような形にされた母でしたが、私としてはやっと母と師匠の縁が切れて清々するわと思っていました。

母が教室に行かなくなってからは、道具部屋のどこに何があるのか誰も知らないので、とても困っていたらしいです。

母を蔑ろにした罰でしょと私は思っていました。

誰も味方してくれなかったんだから。

こう言ってはなんですが、母に意地悪をした人は全員おかしなことになります。

母は何をどうされても黙ってじっと我慢する人ですが、母に意地悪をした人は不思議と痛い目に合う人生となります。

これも算命学的に言うと、宿命通りに生きているかどうか、を問われていて、余計なことをしているから余計なことが起こっているのです。

母との関係性だけではなく、そういう人は他にもそういう態度であるということです。

師匠も当然のことながら充分な余生とはならなかったようでした。

師匠が亡くなったあと、母の茶釜の底に師匠の顔が浮かび上がり、母は住職のところに持っていき師匠を成仏させてもらいました。

そのことは以前ブログに書きましたっけ、覚えていないので再度書きます。

私達が家族ごと今の住所に引っ越して何年か経った頃、母が鈴の音がすると言い出したのです。亡くなった師匠が水を欲しがっているのだそうで水が欲しい時に呼ばれるみたいです。

そして家の横の道の角に亡くなった師匠が立っていると。

師匠は私達の今の家を知りません。霊ってどこでも来るねんな。

これは母の思いがそうしているのか、実際成仏されずに母のところに来られたのか、

どちらにせよ、もういい加減にせいと私は思っていました。

そのうちに茶釜の底に顔が浮かんだのです。

師匠の全てのお世話をしてきた母を頼ってこられたんですね。

母にありがとうって言うたんかしら。

人としてどうなのさって師匠でしたが住職に成仏させてもらえて良かったです。

 

今日も読んでいただいてありがとうございます。宜しければ余談をボタンを押してから読んでください。

 

 

余談(続きだけど)

もうこんなんホラーやん。

人は、亡くなるまでに、自分を振り返って、これではいかんと思わないと駄目です。

自分をホラーにしないように生きないと。

がめつかったり、意地悪だったり、その時だけ取り繕うような悪代官は駄目です。

私がこういうブログを書いているのは、宇宙的にどうってことを言いたいからで、

社会にいても歪まない人であってほしいと願うからです。

あるべき姿は人それぞれ違うと思いますが、美しさがあるかどうかがとても重要ですから、自分が傷つくことも、他人が傷つくことも、宇宙的に宇宙を汚していると感じています。

だからまずは自分を整える。

出会った人は、それに感化されて自分を整え変わる。この連鎖が欲しいのです。

長い長い人間の歴史だけど、ちっとも良くならないのは、汚染されたまま死ぬからだと思うの。

クリアな気持ち、魂、そういうのが全然足りない。意識しないから。

今日誰かに言った言葉は、その人を傷つけていませんか。

今日誰かに言われた言葉で、傷つきませんでしたか。

その対処をすること。同じ間違いをしないこと。何故そうなるのかを考えること。