空間だけの状態を無としたら、
何もないので何も求めないし何も起こらない。
絶対的。
空間は算命学では天干。天干は天の気。
癸卯年生まれなら癸(みずのと)、甲辰の日生まれなら甲(きのえ)が天干。
庚申の日生まれなら庚が空間。庚が魂。
魂=空間=絶対=天の気だということ。
何もない空間と魂は同じ位置にあって、求めることを本来はしない。とすると、
人間が自分の魂を目標にするのは悟るということになる。天の気を知るということ。
わかっていても改めて言葉にすると、言葉というのは再確認に必須だなと思いました。
甲を天干に持つ人同士でもその下にある地支によってどういう人かは違います。
目指すは同じだけれど、どのようにというのは千差万別。
他の天干も同じ。
不安を持つか持たないかは、その地支の中のエネルギーによりけりで、
天干と同じエネルギーがあると本人は本人らしく生きられるのだとは思います。
社会で生きている間は、虚無感など持たないほうが生きやすく、
無は何もないが虚無は虚があるのです。
虚無も何もないことと書かれていると思うけど、無は虚しさなどない本当に何もないことですから同じではないですね。
虚無を感じながら無を得ようとするのはとてもきつい。
若い人にアドバイスするなら、虚しさなど感じている暇がないくらい目の前のことを必死でやりなよと言ってあげたい。
必死でやっていても不意にくるのが虚無だから、首をぶるぶるっと振って気を紛らせながらいくしかない。
本当にしょうもないくらい小さなことでいいので、毎日楽しいとか嬉しいと思って、虚しさなどその場で溶かしてしまってほしいです。
人と話すのが億劫でも、世界中の人のことが今はSNSでわかるのだから、素晴らしい世界を見て感動してほしいです。
そしてその純粋な感動を出来れば形にするとか、人に伝えるとかしてほしい。
そうすると良いエネルギーが、既に色々と複雑になったこの空間にめぐって、他の人も感動するのです。
一つ注意をするとしたら、行動の過度はいけません。嘘もいけません。
過度な表現が少し許されるのは芸術だけだろうなあと思います。
感動するということは、魂にとても響きます。
神様に感動を捧げることを私は約束しています。そのくらい大切なことなのです。
全然難しいことじゃなく本当に小さな喜楽を見せていただけることにありがとうって思うだけです。
よこしまな気持ちとか、悪知恵を持っている人というのは、感動をズレたところで感じているみたい。単に欲求でしかない。
違う違う。得るべき感動はきらきらとして、魂が喜んで、一瞬時間が止まるのですよ。
感動と共に感謝がある。
そういう精神になっていくと、みんなが望む幸せを感じられるの、本当に、不思議と。
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余談
足を鍛えようと思って運動していたのだけど、最近疎かで、
先日雨降りの日に義母が義母宅の玄関を出ていく姿を見て、傘を持ってないなあと思いおっかけたんだけど、足取りが早くてどこにもおらず、諦めて帰るとちゃんと帰ってた。
運動させていただいた。笑
これも感謝するの。 そういうこと。
そういうふうに流れが出来てくるの。たまたまのようで必然の幸せの流れとなるの。
日本の皆さんおつかれなまですではないですが、今、外国の方がインバウンドで大勢来られているのもチャンスなので、日本の神がかりな思いやりの気を世界に感じてもらってほしい。
日本人はもっと天の気を感じていてほしい。しゅうしゅうと音がするくらい心に染みていくまで感じてほしい。
天の気を感じながら生きている私ですが、それでも全部知ってるわかってる見えてるわけではないから、この先どうなるのかなんてわかりません。
でも、なんとなく流れはわかってきました。
父の、今日は最高という日が死ぬまでに一日でもあれば最高だという持論は最高です。
勿論どれが最高か選べるくらい良い日が並べられると素敵だなあ。
私は、自分の機嫌を自分でとって、良い日って言えるように、でもそんなに頑張らなくてもごちゃごちゃ考えなくても良いようにはなってきました。
2017年前後から苦しみが体に表れるほどとなり、2022年の母の死と共に精神軸の軌道修正が本格的になり、2023年癸卯でぐらぐらと揺さぶられながら2024年甲辰に着地して、一旦ゆらぎがおさまってきている。
運気通り。
宿命通り人間関係を最小限にしていたほうが私は生きやすいから今良いほうだと思う。
周りの人が増えてくるとまたいろいろと考えるのかも知れませんが、これまで感じてきたことを活かせるといいなと思います。
まあたぶん、我慢することになるけどね。
正しさよりも、愛だし。