気で生きた木

覚ることについて書いています。

認知症の義母と私の役割

1月よりLINEを削除しようと思っています。最下部をお読みください。

 

筋肉は鍛えておくべきだね。

お義母さんが足が丈夫で家の階段って10段以上あるんだけど平気で上るし、

どこも悪くなくて健康。

だから散歩が好きみたいなんだけど、認知症で迷子になるんです。

この半年ぐらいの間、特にこの2か月の間に認知症が進んでる。

アルツハイマー認知症だと思う。

ここが家なのに家に帰りたがるという特徴があるんです。

それが今までは週一で言うかなってぐらいだったんだけど、3日に一回、2日に一回、一昨日と昨日って、スパンが短くなってる。

夫は、お義母さんの認知症には波があるって言ってたんだけど、こんな調子だと伝えたら、あーそうやなもう波とかじゃないなと認めました。

それであなたは平気なのかと(例えば散歩で迷子になることなどで迎えに行ったりすることも含め)問うと、それはもう仕方がないと思ってるのだそう。

私も、亡くなった私の母も、いろんな身の回りの世話をしてくれる介護施設という便利な所があるじゃないかという考え方なので、

お義母さんの場合、もう身の回りのことはヘルパーさん任せで、家も家でない認識ならば、施設のほうが本人が楽ではないかと思うのだけど?と夫に言ったんです。

というのは、うちは1階が親、2階が私達という二世帯住宅なので、一緒に住んでれば全部私が見てられるんだけどそうもいかない中途半端な感じなのです。

まあ、私が来るまでもそれでなんとかやってたから。

だけど認知症が酷くなった今、夫が何を思うのか問うたわけです。

だってもう、本人の認識は当てにできない状態なのだから、近くの人がどう思うかのみだと思うから。

こう言っちゃなんですが、死んだら葬式は、、、とか死んだら家は、、、とか、

よく生前に言うじゃないですか。

私は母にも父にも言ったんだけど、希望があれば言っといてくれたらそれようにするけど、ないなら生きてるものの気持ちと都合だろって。

それと同じことじゃないかと私は思っているわけです。

 

介護施設にお勤めの方がお読みになると気に障る内容となりますが、ニュースなどでもよく事件になっているように、お世話することが日常の中で、やはり他人となると、感情が先になることは避けられない事もあるだろうと思うし、感情が行動にでてしまうスタッフと、そうでないスタッフがいるのだとしても、それは私たちは選べません。

夫は、私が想像しているような(アットホームな)場所ではないと思うと言いました。

お義母さんに対して丁寧な接し方をしてくれるのかどうかは、知りようがないと。

お義父さんを施設に預けた経験があるからなのか、家を離れると死までが早いと思っているようで、

「もうそれでもええねんけど、可愛そうじゃないんかなあ?」と悩んでいました。

この悩みはたぶん解決はしない。

だからお義母さんが亡くなるまでこのままだと私は察知しました。

それならそれでいいのだけど、

昨日の夕方、「誰も一言も言ってくれないから、もう今から自分で家に帰ろうと思って」とお義母さんが言うんです。怒ってました。

この本人の怒りや不安が私はたまらないのです。こんな心を抱えて生きるのって大変だと思うのです。

今こう言ってても数分で忘れちゃうなら、私が案じているほど大変ではないのだろうか。

でも、認知症が酷くなってきた今、もうほぼ感情だけで生きてる。だから、その瞬間をどれだけ楽にしてあげられるかじゃないのかと思うんです。

で、家に帰るというのを何とかしないといけないのだけど、ここが家だと言うと否定になっちゃうから不安を煽るので、

「引越したから前の家ないよ」って言っときました。

「あ、そうなの。じゃあここが私の家なの。どこで寝るの?」って、一旦納得したみたいです。

毎日寝ている寝室と、お義母さんの趣味の部屋を開けて、引っ越してお義母さんの荷物が一杯ってことを伝えました。

一旦納得しても、また今日はわからんだろうけども、感情は抑えられたかと。

 

私が鬱や不安症になった理由は、この経験の為なのかも知れないと思いました。

お義母さんの不安にどう寄り添えるか。不安の詳細は違っても、心に地震が起こっていることに変わりはないのだから。

思いたくはなかったけど、なんとなく、叔父や母の最期の時から薄々感じていたのは、

あの世に向かう人の最期の日常生活に少し灯を点ける役割なのだと。

夫はその役割じゃないんだよなあ。だから私が来たんだろうなあと。

ある意味、夫のご先祖様かお義母さんの守護神に呼ばれたのかも知れぬ。

私の守護神が阿弥陀如来だしなあ。オンアミリタテイセイカラウン

私じゃ役不足だと思うけどなあ。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。年末恒例の熱に侵されましたがなんとか復活。ボタンを押していただけると元気をいただけます💛

宜しければ余談もお読みください。

 

余談

子丑天中殺なのよ、父も夫も。だからそれなりにざわついてますけど、

私は毎日神仏に手を合わせて、お義母さんに今日はデイはないよとかの伝達をしに階下へ行くなどしながら、日々いい人間として暮らしているにも関わらず?

謎の高熱で昨日は死んでましたが、何故私が?って思うんです、こういう時。

なんで私が自転車で病院に走っているのだろうか。自転車に乗ってるなんて。

なんで私がこんな苦しい思いをしないといけないのかって本気で神仏に問うたら、

「掃除機」って。

そうなんです。皆さんとこの掃除機どんなんです?

この家のはスティッククリーナーなんだけど、ああいうのって持ち手のところ辺りに排気口があるから、ちょっとかがんだりすると顔の近くになるんですよ。

で、それ吸っちゃったみたいで、その瞬間、あっと思ったんだけど、うがいしなかったのかなあ覚えてない。

フィルターなんて細菌だらけだから、あーやっちまってたなあと。

この掃除機とは、いつかやりあう事になるだろうと思ってたのよ。

大体値段バカ高いくせに全然猫の毛すわないし、ハイパワーにしたら全然もたない、あんなデキナイ奴に負けるとは。

 

とりあえずのところ年末のご挨拶を。

今年もありがとうございました。1月よりLINEを削除しようと思っています

ですので今後はホームページからのご依頼、お問合せのみになると思います。

寒くなりました、お体ご自愛くださいませ。

下のホームページをブックマークしてください。

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12月

12月7日。今日から12月。

丙子の月になりました。

丙子というのは、太陽と雨のバランスの良い状態を表すので、好きな干支です。

 

子(ね)というのはエネルギーとしては癸という水の気になります。

それ以外の何も含まない強いエネルギーです。

 

甲辰の年、丙子の月。

辰、申が宿命図にあると半会というエネルギーになるので、良いも悪いもぶわっと広がるのだそうです。

私の経験から、

現状維持をしたいなら心を平穏に、チャンスだと思うなら周りとの調和を心掛ける時だと。

常に心を平穏にしておれと言われている気がする。

 

 

癸というのは、雨露を表します。

雨露であり、暗流である。

雨は生きるものを助けてくれる。

暗流っていうのは、水面下で動いてる意味合いを感じていたのだけど、

確かに表に表れない動きとは書かれているのだけど同時に、成り行きとも書かれている。

成り行きに任せても大丈夫な自分(立場)なのかどうなのか。

癸を干支に持つ人は、これを考えないといけない時があるかもよ。

 

 

本日もお読みいただいてありがとうございます。余談もぜひ。

ボタンを押してくれたら心がまとまってくれそう。

 

余談

先日から見ている韓流ドラマなんだけど、代々伝わるおうちの儀式と、

それとは真逆のように描かれた恋人達の生活や貧乏だけど自由な環境。

世間というのは、

おうちの儀式を見たら、たぶん世間は、それがまともなことで、

身勝手に生きているかのような若者を見たら、乱れていると感じるんだろうけど、

宇宙的に言うと、どちらも、そうでなくてもいいのにそうしているのだし、そうするしかないからそうしていて、どちらが正しいなど無い。

していることが自分に似合っているかどうか。のほうが大切で、

今はこうしていないと気が済まない。というところで生きてみたほうが充実すると思うのです。

余裕があれば、似合っていないけど付き合ってあげればいいのです。

自分が充実しているほうが、他の人の為にもなるし。

という私は、天体の動きとリンクが顕著過ぎて11月末はゆらぎが酷かった。

感情が爆発して、3日に落ち着いた。

似合うところにいても邪魔なものが何もないわけではないので、

やっぱりコントロールは必要なんだけど、コントロールしきれなくて大爆発。笑

いや、甲辰の人にとってはこの爆発がコントロールかも。

 

 

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10月が終わる(納音)

10月は甲戌の月でした。あと1週間で終わります。

甲戌というのは異常干支と言われる干支ですし、大運にあれば大運天中殺になりますし、色々と試練を感じる干支です。

月運として影響があるのは、甲辰が宿命にある人

納音というエネルギーが働きますから、社内移動はいいけれど転職や起業には向かない時となります。

やむおえず現状からとりあえず出てしまいたい人は自ら動けば今までのことは一応終わりますし、そういうふうにしたくなる時です。

引っ越した人もいるかもね。

今までのものを何らかの形で続けているのが良いのです。何らかの形でというところで何となくニュアンスとしてわかっていただきたいのは、違うんだけど全く違うのではないのが良いということ。

乙巳が宿命にある人は、心づもりが必要かも知れません。

 

もう一つ、、、10月というのは植物が土の中ではもう芽を出そうと静かに準備をしていまして、春に思いを馳せながら、来月には冬が来るからと、葛藤と希望の時。

人間の日常では、衣食住で、そろそろ温かいものを取り入れて、気血津を巡らせる。

乾燥もし始めているので空咳も出る人は蒸し梨で体内の水分コントロールをするのは漢方などではよく目にする食べ方です。

梨をソテーしたことはありますが蒸したことはないので一度やってみたいと思います。

蒸すってなんか良いのよね、気分が。

気持ちがやすらぎながらもパシッと自分的にキマる。

 

11月は乙亥の月になります。7日の立冬からです。

乙亥は甲戌のお隣さんで、同じく異常干支であり、大運にあれば大運天中殺になります。甲戌と乙亥が大運に並びますと20年間の激動の運気となります。

月運で言うと、乙巳を宿命に持つ人にとっては、納音です。

こちらも動く時はご注意ください。

11月は亥の月で、亥というのは種の中の核。

種の中の核は栄養を溜めこんでエネルギーがいっぱい。リスのほっぺたみたい。

秋の味覚も充実して、体調を整えられます。旬の食べ物は食べたほうがいい。

そして12月の本格的な冬を迎えます。

 

 

寒くなってきました。

先日Instagramでいつも拝見している東京に在住の人がセーターを着ていたのを見たすぐあとで、次男が「急に寒くなってタジタジ」ってLINEを送ってきました。

表現おかしいやろ、、と思いながらも、東京は冬が早いんだなあと。

秋を越えて冬が来たのかと思うほど、日の当たらないところではそう感じます。

風邪ひく人出てきますねー、ゲホゲホしながらスーパーの中を歩かないでー

首の後ろの骨出てるとこにシャワーで熱めのお湯で邪気払う、これ本当にやってください。

 

 

では本日もお読みいただきありがとうございます。

ポチっとボタンをよろしくお願いします。余談も是非お読みください。

 

余談

宿命図に甲辰や乙巳があるかどうかはネットでも調べられます。

他の干支を宿命に持つ人も納音がめぐる時が来ます。

納音というのは、その星の真裏の世界です。

鏡みたいな。同じようで同じでない気。

夫は納音が宿命にあります。

私は納音がないので、こうして納音のエネルギーがめぐってくると夫と同じエネルギーの中に立つので、夫婦として落ち着きます。

なんかわかるとか許せるとかいう感じ。

普段は、私とは真逆の人って感じがします。

今私は、納音というエネルギーがこういうことかと体験しているわけですが、

どういうエネルギーであれ、めぐってくるそのエネルギーにどう対応するか、

それが悟りになるわけで、

そう考えると、目の前の人も私も、幸せとなるような計らいをするのが人間の一瞬一瞬の目的よ。

この一瞬の積み重ねによって、自分の未来も変わるし、世界も変わるし、個々のカルマも決まる。

蚤のような小さなことだけど、

職場の人、友達、仲間、パートナー、に対して何を言ったか、何をしたか、どうしてあげたのか、そしてお互い幸せなのか。

 

ワタシ、イマ、スゴク、イイコト、イイマシタ。

 

 

 

 

 

混沌と中庸

あら、もう10月。

気付けば1か月ブログを書いていないわ。

その間にもいくつか悟らされましたが、なんだっけ覚えてないな。

 

 

最近のニュースを見ていて、

一度着地してもまた混沌が始まったのだと思いました。

石破さんの発言について騒がれていましたが、

策のぶつけ方が韓国ドラマみたいです。笑

だから理解されにくいけど、何をするのか見てみたい人。

宿命生月天中殺の人の我が道をゆく姿に社会が賛同して盛り上がるっていうのを芸能界じゃなく政界のを見てみたいなあ。

今期の総理大臣が日本の転機に素晴らしい貢献ができるように願います。

 

 

 

私は、母に「人とは」を教えてもらいましたが、人=社会とはそういうものだけど本当はそれでは宇宙的には正しくないということは私の中では曲げることはありません。

ただ、そういうものだということを強く再認識したことで、本当の優しさや人の為とは何かがわかりました。

わかった上で、あれ?やっぱりあれは違うよな。と思うことが最近いくつかありまして、母の発言をもう一度間違いだと思ったわけです。

と同時に、あの時こう答えてあげれば良かったのにごめんねとか、あの時酷い言い方をしてしまったごめんねとか、何かにつけてごめんねって思うのです。

だけど母の間違いは間違いだから、ごめんねと、だけどさーが代わりばんこに。

これは、この悟りテストの最終確認をさせられてるんだと思いました。

 

 

混沌は、中庸でしか対処できない。

神業よ。

適当に合わせるとかそういう社会の戯言ではなくて、本当に深い理解と判断。まるで水の中にいるような感覚の。

悟りとは神様に近づくことだと、以前教えてくれた人がいたけれど、このことか。

人は全てを知った上で中庸となってもまた同じ事を思いめぐらして、決して悟りきれないのかも知れないのね。

 

 

今日も読んでいただいて有難うございます。

今日はポチッとしてもらうボタンはありません。

また読んでいただけると嬉しいです。

 

 

余談

この数年の精神的な嵐が漸く去ったようです。

これまでは、ここから先はヤバいというラインに立つとぐいっと後ろに引き戻されている感覚だったのが、最近、ここから先はヤバいというラインに立つと、10秒ぐらい何も考えない感覚になります。

時間が止まっているような感じで、勿論触れないけど羽毛布団を握ったぐらいのクッション性。

わざとヤバい方へ考えようとしても何も出てこないんです。

不思議ね。

で、我にかえりながら、目の前の有り難さに意識を向けて、キッチンで嬉しそうに蟹ダンスをするんです。

 

 

人生はタイミングも大切。

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結局は自分だな。ってやっぱりそうなる。

鑑定をしていて毎回思うことなのですが、

これはもし鑑定されたことがある方は悪いほうに誤解しないでほしいのだけど、

なんでか物凄く私自身がしつこく思われている気がするんです。

毎回なの、これ。笑

メール鑑定ですしね。

お伝えすることを義務として行うことで、この思いも無くなるかなと思っていたのだけど、毎回くどいのではないかと思ってしまう。

いや、くどいのかもな。極力相談内容に対してのみのお伝えを義務としているから、

言ってないことのほうが多いものの、相談される人の奥底の何かがメールの言葉から読めると、これ、言っといたほうがいいなとなって、つい出ちゃう。

それでもかなり我慢してる。色々言ってもわからん時はわからんから。

で、自分のことを客観的に見たら、私自身も、誰かから学ぶときなどでも、

もうそこええわ。と閉じることがあるし、自分から興味があって近づいても、

その時の自分の必要量というのを超えるとそれ以上聞いたところで、

うざいわっっとなる。

なるほど、そういうものだな。

ふーむ。この悟りは諦め感が強い悟りだ。

まあ、そこに礼儀があればそれで良しとせねば。と思う。

礼儀を損ねぬようにしますので、くどくてもお許しを。

 

 

ていうかさあ、くどいって何よ、知りたいんじゃないの??

と、私の中のチビ龍がうるさいのだけど。

チビ龍とか言い出したらもうやばい人です。実際いるわけじゃないんです。

色んな声が人の中にはあるでしょう。それ。

 

 

話は変わりまして、3日ほど前だったか、ふと、結局自分がどう思うかだな。と、結論ともいえる言葉が頭の中を横断。

私は鬱を患ったという自覚がありますし、だからすぐに深く暗いところへ思考がいきやすいのかもという自分と、

は?なんで私がこんな気持ちに?てめーのせいだろうが!!という、完全に自分肯定の自分という、真逆の人間がはっきりと内在していまして、

この2つをちょっと考えてみると、たどり着くのは同じところで、ドSです。

鬱は決して他を認めるとか認めたいとかの気ではないので。認めてもらいたいのであって、言わば、自己アピールしたいわけですよ。自己肯定は誰よりも強いはずなのです。

鬱の話になっちゃいましたけど、3日前の、結局自分がどう思うかだなという結論とは繋がっていまして、

男性によくある傾向ですが、自己解決しているのか必要な事を話さない人っているでしょ。それでいて、言ってほしくない言葉をちょいちょい言う。

こういう人と共に生きるというのはなかなか私のような会話に重きを置く者としては、時々しんどくなってしまう。

これが私の情緒不安定へと繋がり、更年期障害の症状がもろに出てくる原因の1つでもある。

夫は癸なので私とは相生関係だからダイレクトに私の現実社会の助けとなっているし、まじで神様だなと思うことが多々あるのだけど、忌神でもあるから私甲辰の精神葛藤をより葛藤させにくる。

そうか、やつの言葉は私の試練なのだな。そう思った。

1日半ほど深い海の底に心を潜らせて私がとった行動は、

「なんでかわからんけど、てめームカつく」とLINEで送信した。笑

ちんぴらか。笑

ちょっとすっきりしたけど、メッセージを見た彼は、帰ってきても勿論変な空気を漂わせているわけで、夫は何が悪いのか全くわからないまま、そしてその原因を追究しない。

この時点で問題が対自分なのだとわかっているのに、ことさらに大きくなるのを避ける術を、つまり黙っているのが一番という思考、そして、いざという時はどうにでもなれの精神で闘う人だということだ。

だから、ムカつかれているのです私に。

そしてこのLINEは、私の克服法でもあるわけで、決して軽はずみに送信しているわけではありません。

まあこのあたりなら私の幸せとしては許容範囲だと、言葉にするとそんな感じに最終的に落ち着いたので、

自分がどう思うかだな。なのです。許すとか許さないとかでもなく、自分の美的感覚としてどうなのかが大事。

 

うちわの話をこうして書くと、しょうもない犬も猫も喰わない話になりますが、

こういうことで人は日々進むか止まるかしているわけで、だからもっと相手を思わないといけないのよ。

あとで買い物に行ってアイスクリームを食べて不穏な空気は明るくなりましたし、

人というのは、瞬間で生きていますから、切り替えが大切。

 

 

今日も読んでいただいてありがとうございます。

ボタンを押していただけると、また書こうという気持ちに。余談も宜しければ。

 

余談

最近頭がおかしくなってきたのか、はたまた神様の思し召しか、どう思えばいいかが頭の中でちゃんと言葉になって表れるんです。

大人になれたってことでしょうか?笑

 

余談の余談ですが、昨夜寝ていた夫が急に「うぅぅぅーいぃぃぃー」と唸りだして、「うぁああああ」と叫んで尋常でなかったので、「大丈夫??」と慌てて肩を叩いて起こしたら、

私の顔を見て更に「うわぁあああああああ」と物凄く叫んで恐怖に絡まれておりました。

失礼な。笑

 

 

 

 

 

無というのは、何もないことだから、人間が無になるというのは有り得ず、

近づくには、何かを捨てないといけない。

捨てる? 

人間が捨てきることは出来ないので、どうしたって、加えるということになるのでは?

 

加えていくしか方法がない。

失う前の人や物や物事の存在、失ってみて改めてわかる人や物や物事の存在には、それぞれに存在意義という価値があって、

無意味な価値だと思っていたとしてもそれは決して無意味ではなく、

常にそこに対面している自分の成長のためにある。

そんなことを書くつもりでもなく、なんとなく開けたブログなんだけど、

勝手に手が書いてる。へんなのー。

 

それはそうと、テレビで言ってたんだけど、句読点?最後の「。」この丸が、

ハラスメントだって。

何故に丸がハラスメントなのだろう? 言い切られてる感じがするのかなあ?

国語嫌いなんかなあ?

本を読まないということかなあ?

本が好きな人は、この丸も好きだと思うわ。

そう考えると、そうか、人との会話に丸はないもんね。書いてこそ丸が存在出来る。

書くということと、メールで文字を入力するということが、もう違うことなのかも。

私にとっては話すのもメールするのも同じだなあ。

こういう小さな事が日本人を変えていく。

関係ないと思うかもだけど、少しずつ人類に影響するものとして蔓延していくの。

良いのか悪いのかは、現時点ではわからないけど、私が思うに、何かを失うね。

さっきの無の話に戻るけど、何かを失い切ることは出来ないのよ、人類は。

だから、許さないといけない。両者の存在を許さないといけない。

争いを起こさず、知識、経験として得て、成長の為に活かし進むのみ。

 

 

勝手に手が書き始めたのでとりとめがない気もしますが、

ここまで読んでくれてありがとうございます。

ボタンを押していただけると、うれしいです。宜しければ余談も読んでいってね★

 

 

 

余談

政治経済には疎いんですが、ユニセフのCMで痩せた子供達が映っているのを見て、

なんでずっと難民なのよ?と思って、年々そのことが腹立たしくなってきています。

私が小さい頃からあのCMあんな感じじゃない?

なんでずっと貧しいのかって、あの国の政権が国民のためのものじゃないからですよね。

全然詳しくないからわかんないんだけど、国連がなんとかすればいいじゃない。

私、ダメなことをずっと放置してるのって気持ち悪くて。

すごく疑問なのは、何故生きるか死ぬかの貧しい暮らしなのに子供をつくっちゃうのかってこと。これは言ってはいけないのかも?とも思ったけど私の素朴な疑問です。

自分の食べるものもままならないのに何故子供を育てられると思うのだろう。

これは、もっとスピードあげて何とかしないと、戦争やまないよ。

やられたらやり返すという経験が先立つ大人を増やしてはいけないですからね。

長年あんな感じだけど、根本治療をしようってどうしてならないんだろう?

他の国って、その国の政権に口出しできないのかね?子供が死んでるのに?

助け合うっていうのは、いざって時に痒いところに手が届くってことでしょうに、

基金は一時的困窮をまかなうもので、基金でなんとかワクチンを打って命を保つなんてこと、こんなこといつまでもやることじゃない。

世界はもっとお互い話し合わないと、自ら滅びに向かってるんだから、さっさと軌道修正しないとなー。

って、誰に言えば?

 

 

 

鑑定のご依頼はホームページをごらんください。


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ホームページ新しくなりました

ブログでのお知らせが遅くなりました。

 

ホームページのURLが変更しています。

ご依頼の際の必須項目も変更しています。

それから、この機に、

開運有占は、Patina Den ゆのかみ に変わりました。

パティナデンゆのかみと読みます。

Patina Denは、私の店Rokushö Caféの中で雑貨など物販で使っていた名前です。

Rokushö は緑青、Patinaも緑青です。

銅などに青サビが出ますが、それです。

青錆により銅などの金属を守ります。

また、緑青は青龍の色で、

Patina Denは龍の巣という意味で付けた名前です。

面白いことに、Rokushö Caféを出した頃から龍神様とのご縁をいただきました。

先月、Rokushö Caféはカフェとしては閉業し、占いのみメール鑑定で営んでいます。

 

 

今日も読んでいただいてありがとうございます。

余談も読んでね。ついでにボタンも押していただければまた書く気になれそう。

 

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https://sites.google.com/view/patinaden

 

余談

メール鑑定のみだけど、基本は土日は完全オフにしたいので返信するかどうかはその時次第です。

それから、鑑定は、ご依頼時に書いていただく相談内容に対してなので、鑑定結果により更に展開した内容や思いつきからの相談は、再度ご依頼いただきます。

相談内容に、「仕事について」とか「今後の人生について」とか、一言しか書かれていない方は大体その傾向になり、鑑定後に火がついてやっと今悩んでいることの詳細を述べるわけですが、

はじめにそれ書いてきて。って思ってます。笑

依頼の前にご自身の中で考えるということをしていただいています。

これにより、問題に向き合うことになりますから。

そこでもう鑑定しなくても解決してしまう場合もあるでしょうし、

自分はこうしたいんだなとか、改めて感じる事があるのです。

それが凄く大切だと思うのです。

 

では、鑑定ご依頼お待ちしております。

 

追記:ブログランキングのボタンがどこにもないとお客様からご連絡をいただきましたので、加えときました。スマホから投稿すると設置できないのよねー